近江商人から学ぶ 動物病院経営

近江商人から学ぶ 動物病院経営

「その地域に住む人達の役に立たなければ存在しえない」。これは、 動物病院経営 のみならず、歯医者、病院から商店、会社、そして自治体(行政機関)にまで、共通している大前提です。

そのため、日々の仕事を通じて信用、信頼を得ようと努力することを当然としていますが、ある時、全てのお客様から「ここから出て行け」と言われたら、どうするでしょうか。

実際、こんな目に遭ったのが日野商人です。

商売で成功を掴んだのにその地を追い出されることは、存在価値を否定されたことを意味します。

しかし、日野商人たちはこの最大のピンチを乗り越え、これまで以上に発展を遂げて今日にまで続きます。

 そこでどのようにしてこのピンチを突破したのかについて探っていきます。

  ※                                           

近江商人は「他国商い」と言って、地元では商売をせず、他国に出向いて、遠くは蝦夷、薩摩、琉球まで行って商いをしています。

売った商品は「お椀」と「薬」です。

江戸の初期からこの日野地方は全国有数の漆器の産地で、この「日野椀」を全国に販売したのが日野商人たちです。

1712年頃には大窪町だけで380人の商人が居たと言われています。

高級品ではなく、頑丈さがメリットであったことから、日野椀は関東地方の農民たちに一気に拡がっていきます。

これは、「掛け売り」と呼ばれる商売法(今のクレジット決済)が大成功した結果でもありました。

時は1691年(元禄4年)のこと、とんでもない出来事が日野商人を襲います。

上州(群馬)西牧の奉行所が「日野椀商人売買禁止令」を出し、その後も上州沼田で排斥運動が起きたのです。

日野商人の商売がうまくて、地元商人達が起こしたもので、殺人のような悲惨な事件も起きたようです。

現代で言えば、「不買運動」です。

もし今勤めている動物病院で同じようなことが起きたらどうしますか。

排斥されて自分たちの存在価値を否定された日野商人たちはどんな行動をとったのでしょうか。

それは、当時の最先端の知識である石田梅岩の「心学」(京都亀岡)を取り入れ、

商売の考え方の根幹を変えたのです。

 ➡️石田梅岩「心学」 https://ja.wikipedia.org/wiki/石田梅岩

つまりは、「自分さえよければ」から「共存共栄」への発想の大転換でした。これが後に名付けられて「三方よし」と呼ばれることになります。

 

近江日野商人の歴史には、ピンチを迎えたこの動物病院業界を救う大きなヒントがあった!!!   その2

取材協力/ 近江日野商人館

次の世代へと 動物病院 を残すという発想

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