日野商人が次世代に商店を引き継がせたるために行った3つの 施策
排斥事件のどん底から抜け出した日野商人は、その商店を現在に至るまで存続させてきました。160年以上続いている 日野商人の商店(現在は会社)は、32もあります(近江日野商人館館長・満田良順氏調べ)。 では、日野商人が次世代へと商店を継続させるためにどのような 施策 を実行してきたのかを整理します。
大きな特徴点は、3つあります。
仲間、組合をつくること
1つ目は、「仲間、組合をつくること」です。
近江商人の中で、日野商人だけが会員数400名を超える商人組合「日野 大当番仲間」を組織していました。
利益独占目的の「株仲間」ではない仲間で、個々の商人が全国で商いがしやすいように様々な仕組みを整えていました。
その仕組みとは、日野商人が泊まれる定宿を整備すること、
独自の物流システム「京 飛脚・伊勢飛脚」を組織すること、諸国の廻船問屋との連携などです。
特にこの組合で重要なポイントと考えられるのが、「自分たちで決めたことを仲間にしっかりと守らせるための制度を作ったこと」です。
ここで利用したのが、石田梅岩の心学の考え方でした。
会員証である鑑札裏面上部に、心学の徳目「仁・義・礼・智・信」の中からその人物に大事と思われる1文字を選んで刻んでいます。
「この1文字を守らなければこの鑑札を取り上げる」という制度で、商業道徳を守らせることに力点を置いていました。
店の規模をあえて大きくしなかったこと
2つ目の特徴としては、「店の規模をあえて大きくしなかったこと」です。これは動物病院にも通ずるものがあるかもしれません。
人口増加が見込めなかったためで、「日野 千両店」と呼ばれる小さな店を離れた場所に出しての多店舗展開をします。
現代のコンビニチェーンのようなビジネスモデルです。
そしてこのような多店舗展開にしたのには、理由がありました。
今で言えば、倒産防止策です。
仲間と一緒にお金を出して店を出すことで利益は減るがリスクも減らすことができるとか、
借金取りをかわすために店の名前は一緒にしないとか、1つの商店で問題が発生しても、それが全体の問題にはならないようにする仕組みを整えました。
家訓、店則を制定していたこと
そして3つ目の特徴が、「家訓、店則を制定していたこと」です。
現在の会社で言えば、経営理念ですが、子々孫々の繁栄を願って家訓を書き残していることです。
日野商人の家訓として残っているのは、1802年に書かれた山中兵右衛門家の『慎み十か条』ですが、兵右衛門がこれを書いたのは、実に78歳の時です。
(滋賀県日野町にある近江日野商人館はこの山中兵右衛門家の奥座敷だった建物です)。
➡️近江日野商人館 https://www.hino-kanko.jp/sight/hinosyouninkan/
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取材協力/ 近江日野商人館
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